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生い立ち
こんにちは、この度は教室一同の、纏め役であったにもかかわらず、私達の思いが、まだまだ、伝わっていない事を寂しく思っているところです。
なぜならば、「甚六」という名前の由来からお話したいと思います。 昔話の中に出てくる甚六は、家のあととりで、必要以上に欲が無く、人が、知りたい事が有れば、惜しげもなく皆教えてあげるし、教えた後にも、心配で、見に出かける程のお人好しさんでした。 これが、どれだけ本当の話かは、知りませんが、私は、いつも言うように、この「甚六」と同じように、私も総領と言う土地で生まれた、家のあととりです。 それに共感して、まず最初に、メールアドレスを、総領の甚六@と、付けたくらいです。 私が、点字を教えるきっかけに成った事は、幼い頃から、高校生に成ってからも「おまえは、どうせ、眼が悪いんだから、何をさせても、間に合わない」と、言われて育った環境にあります。 私は、余計な物は要りません。最低限の、運営が出来れば、それで充分です。ですから、この夏に、機械の維持、修理費を提案した事が有りますが、つぶれてしまいました、仕方の無い事です。 教室の一人ひとりの当事者さんが、もう一人の自分達を、しいては自分達の子々孫々まで連なる当事者サポーターを、育ててくれる事が、私を含め、サポーター達には嬉しい事なのですが・・・。 先日ローズコムで、点字を使い易く、より多くの、眼が不自由な人達に、情報が行き渡るようにと、サピエが出来るまで、己の身が、癌と言われても頑張っている、岩井さんの講演が有りました。 この方も、幼少の頃、風邪の薬の薬害で、一夜にして盲目と成った人です。 その中の、質問コーナーで、私でも出来る、障害からの自立、リハビリ訓練内容で、活動し始めてからの、成り行きを、初めて、公衆の場で発言しました。 それは、私が55歳になった時、病院リハビリの仕事をやめて、自営をしようと決心してから、私の物語が始まりました。その当時、妻君は、「公報ふくやま」の、点訳活動を、Sさんと二人から、始めだした頃でした。 3月に退職して、意気揚々と壮大な計画を胸に、とりあえず、妻君に今までのご苦労に報いる為、信州に旅などをして、諏訪大社の木落に参加させて頂きました。 そして5月になり、あれこれしていると、お酒を飲んでいるでもないのにフラフラとしか歩けなくなりました。そこは、専門だった、なじみの整形外科のドクターに相談してみたら、大学病院に紹介されて、いきなり手術を言いわたされて、OKして、治療に励みました。 そんな中で、妻君からOさんが点字を習いたい、と言う思いを聞いていましたので、夫婦2人で始めたのが、今の教室です。今に成るまでは、色々な摩擦もありました。 それまでは、点訳作業室で、パソコン教室と同じく、小さな部屋で、〇〇の会が、自分の部屋のごとくに、個人の荷物まで、物置代わりに使っていたのを、ちょっとしたきっかけで、片付けさせて広くしたり等の、環境改善もして来ました。点訳グループ、ベスも、福山では、新参ものと、馬鹿にされていました。 〇〇の会より前に出るには、馬鹿にされても新しい書き方の技法を入れる事により、眼の見えない者が、新しい書き方なんだな、等が、初めて判るのです、今までの点字を使っていた人達には、新しい書き方が多くなって大変かも知れませんが、中央からは、いやでも、新体系の点字がどんどん出て来ます。これが無かったら皆が、〇〇の会より、差別化して、比べる物が無いのではと、毎回夫婦喧嘩をしていました。 私は、血の気は多くないのですが、基本的なものまで曲げるのが嫌です。 最初を、基本を言う時、全部言うか、面倒くさいから、いい加減にして置くか、どちらが良いですか。 そんな中で、点字を教えるからには、基本形は、教えてあげたい。それには、ある程度、点字に関して、熟達したスタッフが要る。それには、点訳者を、それも凸面で点字が読める人達を、養成する事から、始めなければならない事が判って来ました、点訳者養成講座に参加させて頂き、点字を教えてくれる場所を作りたい事、それに関わってくれる人を養成したい事などを、講座が有る度に足を運んで、微力ながら頑張って来ています。でも、私は点訳者さんの、点字能力には全くレベルが及びません、でも、文字が読めない人に、何とか場所を作りたい事だけは負けません。これだけ、頑固に、場所作り、サポーター作りをやって来たんだから。後へは引くわけにいきません。 なぜなら、点訳者養成講座に関わって5年になります。その間何人もの人達に、出会って来ました、理解を求め、私の決意を話て来ています。その人達に、私が活動している姿を見てもらうことが、私に出来る事なのです。 点字教室「甚六」を作ったのは、後から出てくる、文字が見えない人達への、道しるべ代わりです、どうでしょうか。私は、よく、人と口論します、でも、基本である木の幹は、原則、曲げませんが、その先の枝葉の部分は、受け入れています。そんな考えを持っているのですが、うまく言えません。おそらく、私の頭が、人の言葉を、消化吸収して、きちんと、答えを纏める、能力が欠落しているから、受け入れる前に、拒否している状態が有るかも知れません。 来春になると、又、問題になると思いますが、教室のサロン化を言う人が出るのではと考えています。でも、2年前から言っている事ですが、協会に、点字クラブが出来ているのだから、そこが、点字を使っての、応用の場所であるから、何をしても良いんだよと言って来ています。昨年は、支援センターが、年度初めから支援してくれるので、毎年、同じ事を繰り返していては、教室の価値が無く、実際に点字を使える人を、養成しなくてはならない事が、私の課題であり、そんな場所が有る事を広める事が私の仕事なのです。でも、今、確実に点字を獲得できて、学校なり、自分の仕事の中に持ち込もうと頑張っている人や、自分の生活の中に、点字を持ち込もうと、多くの人達が頑張っておられます。私を含め全員が、まだまだ手探り状態です。 最初は、昔ながらの、無手勝流で、何としても、探り当ててもらう事で必死でした。 時には、浮き上がる紙を使った事も有りました。そんな中で、「中途視覚障害者の為のマニュアル」を見つけ、すこしずつ本を読みながら、試行錯誤して、何とか今日に来ています。 今回でも、Lサイズ点字は、本来、、デモンストレーション用として、支援センターで作成してもらいました。その教材が、「ひょうたんから駒」状態でした。と言うのは、少し前に来られた方の、手の感覚が弱い方などに、特にお勧め、と言う物でした。 それを聞いたのは、京都での点字触読指導者養成講座でした。早速支援センターに依頼して、マニュアル版の、グレードアップ版を確保する事が出来ました。 それと、簡単で良いので、小規模の点字印刷が出来るグループ技術として、タイプライターくらいは出来ないと、これからの社会では、タイピングの技術が、必ず、何らかの役に立つ事がある筈です。盲聾の人達の、コミュニケーション手段として、求められて来ます。 これらの技術を、協会の点字クラブで、フルに活用してもらいたいから、今年度、「義倉」(ぎそう)の支援金を頂いて、タイプライターを買いました。 それと、春の段階で、私が、クラブを去ったのは、嫌われ口をたたく者が居なくなれば、皆が頑張ってくれるものと確信しています。点字クラブにも、習いたくて顔を、覗かせている人は居る筈です、その人達の手助けをしてあげてください。 そして、点字使用者の方々にも、新しい、書き方なども、教えてあげて下さい。 何故なら、あなた達が、一番新しい書き方や、記号などの全てを、直接指導者に習うのですから。 あなた達が、直接、教えてあげないと、誰も教えてあげれる所は有りません。それだけ、大きく育っている事を、再認識して下さる事を願っています。 もし、私が柔軟に、何でも、言われるままに聞き入れ、サロン化した教室であったなら、基本的な勉強等は出来て居ない筈です。その点について、自分の事だけでなく、新しく、入って来る人達の事は、誰が、考えてやれるのでしょう。 とかく、私を含め、障害を持つ者は、ついつい、自分の周りの事しか、考えられなく成ってしまっている状態が多くて、私は、嫌です。こんな事を言えば、反発も出る事は判っていますが、今の世の中、弱者、弱者と言われ、世の中の甘えられる物に、どっぷりと、つかりっ放しで、時として私はいやになります。 これが私の「眼の見え難いまま、60年の哲学」なのです。 ですから、あなた達の厚意は、きちんと受け止めています。 ただ、お礼の形を、違った形で、少しだけで良いんです、良い事を学んだら、少しだけ、同じように、困っている人達に広めてくださる事を願っています。 余計な事を書きましたが、これが私の、お礼の気持ちと、精一杯の考えです。 もう少しは足腰が立つと思いますが、将来的には、歩けなくなりそうで心配しています。 ですので、私の想いが理解出来る人から、当事者サポーターになっていただきたいのです。 宜しくお願いいたします。これからも、頑張りますので、一緒に頑張って行こうでは有りませんか。 重たい事を書いて済みませんでした。 。
by nashinotubute
| 2010-10-11 16:04
| 甚六のつぶやき
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